むしろいじめっ子である方が恥ずかしい

児童福祉施設でバイトしていた時のこと
普段は全くこっちに関心を持たなかった女の子が
ある日いろいろ絡み始めた
あまりにもしつこく
いたずらも度を過ぎてきたので
「どうかしたの?」「何かあったの?」と聞いても反応なし
「今日嫌なことでもあったの?」と聞くと
「何でそんなこと聞くんだよ!!!」と女の子
「人の嫌がることをするような時は普通そうだよ」と答えると
「うっせぇ!!」と逃げられてしまった

見た目もかわいらしく勉強もそこそこにできた子でしたが
中学に入ったあたりから荒れだし
母親に暴力をふるって児童相談所のお世話になることに…
詳しくは言えませんが母親がいろいろあった人なので…

学校でのいじめが相変わらず報道されているけど
いじめる側の子に問題がある、って見方をする人は少ないみたい

よく「いじめる側にも問題がある」という人はいますが
安定している子ならクラスメートの問題や他人と違うところ
(容姿や知的に遅れがあるとか親が外国人とか)
についても「気にしない」というか
目をつむっていられるだけの余裕があるのですが

心に何らかの問題を抱えている子は
自分の心が不安や悲しみでいっぱいなので
他人の欠点や問題について許容できない

あるいは暴力の連鎖のように
自分より弱いものを痛めつけることで
自分の心の痛みから逃れようとしていることが多い

まあこれは現場で学んだことですけど
後で振り返れば自分の学生時代にヤンキーが
知的に低い子や気の弱そうな子、あるいはハーフの子などを
ターゲットにしていたのもわかるような気がします

不良歴を売りにしているようなタレントが
よく学生時代にしたいじめについて
笑いのネタにしていますが
あれは「自分は人をいじめるような心の弱い人間だった」
と露呈しているようなものなわけで…
でも残念なのが「いじめっ子」歴がむしろエピソード的に
語られる今の風潮が問題じゃない?
とはいえ今のお笑いがすでにいじめの構造で成り立っているからなあ…