障害者を「チャレンジド」と呼ぶなんてなんか愚弄してません?

elenapanda552009-10-23

NHKのドラマの題名の由来を聞くまで
知らなかったのだけど
障害者をアメリカじゃ「神から挑戦する使命を与えられているもの」
としてchallengedと読んだりするんだって

障害者を「障碍者」「障がい者」と表記することの論争は聞いたことあるけど
こんな言い換えってあり?

なんかアメリカっぽい
偽善的なキリスト教の価値観が見え見えで
げんなりする
私が障害を抱えている立場だったら「ふざけんな!」
と思う

これに質が似ていると思うけど
アーメン連中のなかに
「病気は恵み」「障害は恵み」と
苦しんでいる人に対して
信仰的に見える「暴言」を吐いている輩がいる

苦難のさなかにあって呻いている人に対して
「この苦しみは神様から与えられたものなんだから我慢しなさい」
と説教するのが
彼らの欺瞞なんだよね
言っている当人は相手の苦しみなんか顧みずに
善意たっぷりだから始末が悪い

自分が暗黒のトンネルを抜け出て
「苦しみは神の恵み」という境地にたどりついたが
やはり暗夜においては
「これは神からの恵み」と言われることは一番ムカつくし傷つく
或る良識を持った司祭が言っていたことなのだが

苦しみの中にあるに他人に
「これは恵みだ」と赤の他人がいうのは
ある意味傲慢であり欺瞞であろう

話をチャレンジドに戻すが
勝手に障害者を「神から指名を与えられた」と位置付けちゃうのが
何とも障害者を愚弄してるよなあ〜

多民族国家アメリカとはいえ
やっぱり彼らの精神構造は
キリスト教原理主義なのかいな

病気や障害という苦しみに
なんで「神」という無意味な存在の意思を位置付けるんだい?

私も難病抱えて生きてる人間だけど
そんなの「使命」なんてきめつけられたら
「そんな使命なんかいらねえ」と本気で思う