社会で子供を育てるということ

elenapanda552010-03-28

練馬の児童虐待の裁判が報道されている

この種のメディアの取り上げ方は

最後にコメンテーターが

「自分のお腹を痛めた子供を手にかけるなんて信じられません」

「人間として信じられない」

「同じ子供を持つ身としてやりきれない」

みたいなコメントをして終わりだけど

でもそれじゃ何も変わらないんだよ!!

この種の「犯罪」に関して

「殺人者」である加害者を「親」というくくりで見るのであろう。

普通の大多数の人間は自分の子供が産まれたら

いとしいと思ってかわいがるものである

けれどやっぱり

たとえ痛い思いして自分の足の間から子供を出したとしても

「子供がかわいいと思えない」母親とか

いといけない乳児が泣いていると

「うるさい黙れ」と手を出すような父親とか

ごくごくまれに存在することは否定できない。

彼らに愛情を感じろ!っていうのが無理なのか

それについては結論は出せないけど

そういう生き方をしてしまう少数派のマイノリティーはいるもんだ。

そういう人には子供を作ってほしくないし

そういう人をかばう気もないが

私が言いたいのは「なぜ殺人罪・傷害罪としてもっと厳重にさばかないのか」

ということである。

社会で子供を育てる時代なら

第三者が子供の育成にもっと口を出していいし

子供の育成にかかわる行政機関に

もっと権限を持たせないのは

情けない限り…。

本来なら非婚や子供なし夫婦のおとなも

子育てに関われる社会になれればいいと思うのだけど

(子持ちの人の「子供を産んだことないくせに」という一言は

かえって彼らを孤立させていることに気づかないのだろうか)

最近はベトファイルも多いから

あたしなどは声を上げるかしないのですけどね。