妄想と現実のあいだ
ちょっと懐かしい小説のタイトルにひっかけてみましたが…
「神隠し殺人」(何んともピンとこないタイトルですが)の公判の報道を見て
感じてしまったことです
「妄想」という言葉が頻繁に使われるようになったのは
秋葉原の人たちのおかげなんですか?
よくわからないけど
「萌える」とかそういうのと同じたぐいの次元なのか…
昔は「空想」「幻想」という語で代用していた気がしますけど
最もきれいな置き換えは「夢」ですよね
社会が貧しかったり厳しいほど
人は現実から離れて自分を守ろうとする
それは現実逃避かもしれないけど
人間がかろうじて自分の精神の均衡を保つために
働く機能でもあります
逆に全く100パーセント現実だけで生きているという人も
おかしいといえばおかしいわけで…
でもその妄想?空想?を現実化するか
否かでその人の理性や人間性が働くのが普通です
つまり「殺してやりたい」「あんなやつ死んじまえ」
と思ってもそれを実行に移すか理性や意志でとどまるか否かですよね
それの区別がつかない?というのはある意味病気とは思いますけど
まあ法の裁きから逃れる理由にはならないから
とっとと結審して判決に従ってほしいですね
最高裁までいくまでの税金がもったいないと感じさせるようなタイプの犯罪者ですね
そしてもう一つ言いたいのが
特にこのタイプの犯罪には
被害者の方のお写真は掲載するべきではないと思います
飯島愛さんの報道といい
最近の日本のマスコミには
亡くなられた方のご遺体に対する配慮が欠けているような気がしてなりません
被害者の方のご冥福をお祈りしたいと思います