司法が情に飲み込まれるのか、人間関係が法で線引かれるのか

elenapanda552009-02-22

最近は司法や裁判を取り上げた記事も増え
弁護士さんがタレント化していますが…

被害者参加制度や裁判員制度など
あまり縁のなかった司法の世界に
一般人が関わることになっていくみたいだけど…

離婚ケースを何件か担当した時
違和感を感じたのは
福祉側が「裁判のことは弁護士の先生に相談しましょう」と
とりあえず弁護士をつけさせるのだが
当事者側からみると
「せっかくお金を出して弁護士をつけたのに何もしてくれなかった」
と不満をぶつけられることが多かった

弁護士に対する過度の期待があって
「親権もほしい、財産もきちんと分与してほしい、慰謝料もほしい」
と自分の落ち度はさておき
いろいろ要求してくる依頼人に対して

弁護士の先生も「いえ、そんな判例はありません」
「…が相場です」「こっちの不利になるようなことは言わないでください」
「それでは裁判に勝てません」と
にべもないお返事をされ温度差というか行き違いを感じざるを得なかった

たとえば離婚裁判で親権を争った時
「母親から引き裂かれる子供の身にもなってください」
という原告の主張には感情が大部分を占めているだろう
そこに司法が裁きを下すのだから…

弁護士の先生方は「勝つか負けるか」が問題であって
「法律相談」とか言っても弁護士はサービス業という考えはないんだなあ

再犯の「江東区の神隠し殺人」などの判決からしても
被害者や遺族の感情よりも
「殺害した人数」「殺害方法」「動機」などの方が
裁判にとっては大事ということを
改めて感じた人も多いんじゃないかなあ

市民の裁判参加とは銘打っているけど
裁判の場に情が持ち込まれることに対して
拒否的になる司法関係者は多いのではないか
そしてためしに参加してみた市民側としても
裁判の四角四面・杓子定規な進め方に
失望してしまう人の方が多いのではないか