地獄への道は悪意で敷き詰められている

elenapanda552009-09-23

私はこれをずっとダンテの「神曲」に
あるものだと思い込んでましたが

原文にはこの言葉はないんですって
というかこの作品、
名前は知ってるけど読んだことないんです

その昔あたいがカトリックだった時
職場や友人も信者さんが多くて
どうしても彼らの中に囲まれていると
時々どうしようもないやりきれなさに襲われたのですが
その時出会ったのがこの言葉

相手に良かれと思ってしたことが喜んでもらえなかったけど
神様が喜んでもらえるならそれでいい!!なんて
イエズスだってこの世にいるときは
誰にも歓迎されなかったもの…な〜んて
そ〜いう発想の世界…

ひた向きな信仰と言えば聞こえはいいのだけど
彼らのその一途さの中にどこか
自己陶酔のような自己欺瞞が見えて仕方がなかった

でもそんなこと突っ込んだり指摘したら
あ〜ゆ〜世界ではとんでもないこと言われますからね!!

まあまあそれは昔の話だからどうでもいいのだけど
今は逆に悪意と嫉妬と揶揄に囲まれた不信の世界
とでもいいましょうか

でも以前のやりきれない欺瞞に満ちた善意だらけの
偽りの信仰の世界にいた自分にとっては
まあ「人間味あふれる」というか「人間臭さ」と
受け取るようにしています

とことん善意を持った人間と
とことん悪意を持った人間
どっちが恐ろしいことできると思いますか

私は「善意を持った人間」の方なのだと思うのです

多くの宗教が信仰の名のもとに殺戮を繰り返したように
多くの戦争が「自由のため」「自国民を守るため」という
正義の名のもと繰り返されたように
「誰かを苦しませたい・困らせたい」と
“悪いこと”をしようとする人は少ないですから
(まあ最近は「愉快犯」も多いですけど)
そして「自分は正しい」と思い込んでいる人ほど
厄介で手を焼く存在はないと思うのです